フェーズ1(最重要)支配方程式の導出 — 5本の式を、保存則から一行も飛ばさずに
DFN モデルの本体は、たった5本の方程式です。しかしその5本は「覚える」ものではなく、 質量保存・電荷保存・熱力学・反応速度論という基礎から導出できるものです。 この章では、二本の理論的な柱 —「多孔質電極理論(体積平均)」と「濃厚溶液理論」— を先に据えてから、 5本の式を一本ずつ、途中の代数変形を省略せずに組み立てます。 紙とペンを用意して、各行を自分の手で再現しながら読み進めてください。 この章を越えれば、あとのフェーズはすべて「この5本をどう解くか」の話になります。
1.1 セルの全体像と「5本の方程式の地図」
フェーズ0で見たように、リチウムイオン電池のセルは 負極(多孔質の黒鉛電極)・セパレータ・正極(多孔質の NMC 電極)が電解液に浸された サンドイッチ構造です。DFN モデルは、この構造の中の 「どこで・何が・どの法則に従って動くか」を5本の方程式で書き切ります。 まず全体の地図を眺めてください。
5本の方程式の担当区域。式1と式5は「各位置 $x$ の粒子」に、式2〜4は「セル厚み方向 $x$」に住んでいます。 $x$ 方向の1次元 + 各点の粒子内 $r$ 方向の1次元、という二重構造が「擬似二次元(P2D)」の名前の由来です。
導出する5本の式と、それぞれの出発点となる基礎法則は次のとおりです。
| 式 | 対象 | 未知場 | 出発点となる基礎法則 | 導出節 |
|---|---|---|---|---|
| 式1 固相拡散 | 各粒子の内部($r$ 方向) | $c_s(x,r,t)$ | 質量保存+フィックの法則 | 1.6 |
| 式2 液相物質保存 | 電解液($x$ 方向) | $c_e(x,t)$ | 質量保存+濃厚溶液理論 | 1.7 |
| 式3 固相電荷保存 | 電極の固体骨格($x$ 方向) | $\phi_s(x,t)$ | 電荷保存+オームの法則 | 1.8 |
| 式4 液相電荷保存 | 電解液($x$ 方向) | $\phi_e(x,t)$ | 電荷保存+濃厚溶液理論 | 1.9 |
| 式5 界面反応 | 粒子表面($x$ ごと) | $j(x,t)$ | 反応速度論(遷移状態理論) | 1.10 |
この章の読み方
1.2 と 1.3 は「電気化学の言葉」を作る準備、1.4 と 1.5 は「多孔質媒体と濃い電解液を扱う道具」を作る準備です。 準備がすんだ 1.6〜1.10 で5本の式を一気に導出します。 途中でスライダー付きの図が出てきたら、必ず手を動かして、式の形と図の動きを結びつけてください。
1.2 準備A: 電気化学ポテンシャルと平衡電位(ネルンスト式)
電池のモデルを作るには、まず「電極の電圧はどこから来るのか」を熱力学の言葉で言えるようになる必要があります。 鍵になる概念は化学ポテンシャル(chemical potential)と、 それを荷電粒子に拡張した電気化学ポテンシャル(electrochemical potential)です。
1.2.1 化学ポテンシャル — 「物質1モルあたりの自由エネルギーの値段」
直感的には、$\mu_i$ は「その場所に種 $i$ を 1 mol 追加するのに必要な自由エネルギー」です。 だから物質は化学ポテンシャルの高い場所から低い場所へ流れます。 坂を下る球と同じで、$\mu_i$ の勾配が物質輸送の本当の駆動力です (フェーズ0で復習したフィックの法則は、後で見るようにこの原理の希薄極限です)。
理想的な希薄溶液では、濃度 $c_i$ [mol/m³] の溶質の化学ポテンシャルは次の形になります。
$$ \mu_i = \mu_i^\ominus + R T \ln \frac{c_i}{c^\ominus} $$$R$:気体定数 8.314 [J/(mol·K)]、$T$:絶対温度 [K]。
対数項 $RT\ln(c_i/c^\ominus)$ は混合のエントロピーに由来します:濃度が高いほど 「そこにもう1粒子押し込む」ためのエントロピー的コストが増える、という意味です。 濃度が高い(1 mol/L 級の)電池の電解液では粒子同士の相互作用が無視できず、 濃度 $c_i$ を活量(activity) $a_i = f_i\, c_i / c^\ominus$ で置き換えて補正します。 ここで $f_i$ [−] は活量係数で、理想溶液なら $f_i = 1$ です。
$$ \mu_i = \mu_i^\ominus + R T \ln a_i = \mu_i^\ominus + R T \ln\!\left(\frac{f_i\, c_i}{c^\ominus}\right) $$1.2.2 電気化学ポテンシャル — 荷電粒子への拡張
イオンや電子のような荷電粒子を電位 $\phi$ [V] の場所へ運ぶときは、 化学的なコストに加えて静電的な仕事が要ります。 電荷数 $z_i$ [−](Li⁺ なら $+1$、電子なら $-1$)の粒子 1 mol が持つ電荷は $z_i F$ [C/mol] ($F = 96485$ C/mol はファラデー定数)なので、電位 $\phi$ の場所に置かれた粒子 1 mol の静電エネルギーは $z_i F \phi$ [J/mol] です。これを化学ポテンシャルに足したものを電気化学ポテンシャルと呼びます。
物理的な意味
荷電粒子にとっての「本当の坂」は $\bar\mu_i$ です。 イオンは濃度勾配(第2項)だけでなく電場(第3項)にも押される — その両方を1つのポテンシャルにまとめたのが $\bar\mu_i$ で、 荷電粒子は $\bar\mu_i$ の高い所から低い所へ流れ、$\bar\mu_i$ が空間的に一様なら平衡です。 1.5節の濃厚溶液理論は、この $\nabla\bar\mu_i$ を駆動力として輸送方程式を組み立てます。
1.2.3 電極反応の平衡条件から「電極電位」が生まれる
負極(黒鉛)の電極反応を考えます。黒鉛格子の空きサイトを $\square$、リチウムが入ったサイトを $\mathrm{Li}_{(s)}$ と書くと、放電・充電で起きる反応(インターカレーション反応)は
$$ \mathrm{Li}^+_{(e)} + \mathrm{e}^-_{(s)} + \square \;\rightleftharpoons\; \mathrm{Li}_{(s)} $$です。下付きの $(e)$ は電解液相(electrolyte)、$(s)$ は固相(solid)を表します。 左向き(Li が抜ける)が酸化 = アノード反応、右向き(Li が入る)が還元 = カソード反応です。
この反応が平衡にあるとは、反応が左右どちらに進んでも自由エネルギーが下がらない、 すなわち反応物と生成物の電気化学ポテンシャルの総和が等しいことです:
平衡条件を書き下ろす(空きサイト $\square$ の寄与は $\mathrm{Li}_{(s)}$ の化学ポテンシャルに含める。これは 1.2.4 で具体化します):
$$ \bar\mu_{\mathrm{Li}^+} + \bar\mu_{\mathrm{e}^-} = \mu_{\mathrm{Li}(s)} $$右辺の格子内リチウムは電気的に中性な「Li 原子 + サイト」なので、電位の項を持たない普通の化学ポテンシャルです。
定義 (1.1) を使って各項を展開する。Li⁺ は電解液相にいるので電位は $\phi_e$、$z=+1$。電子は固相にいるので電位は $\phi_s$、$z=-1$:
$$ \left(\mu_{\mathrm{Li}^+} + F\phi_e\right) + \left(\mu_{\mathrm{e}^-} - F\phi_s\right) = \mu_{\mathrm{Li}(s)} $$電位の項を左辺に、化学の項を右辺に集める:
$$ F\phi_e - F\phi_s = \mu_{\mathrm{Li}(s)} - \mu_{\mathrm{Li}^+} - \mu_{\mathrm{e}^-} $$両辺を $-F$ で割り、固相と液相の電位差について解く:
$$ \phi_s - \phi_e = \frac{\mu_{\mathrm{Li}^+} + \mu_{\mathrm{e}^-} - \mu_{\mathrm{Li}(s)}}{F} \;\equiv\; U \tag{1.2} $$物理的な意味 — 開回路電位(OCP)の正体
式 (1.2) が言っているのは:電流を流さず反応が平衡にあるとき、固相と液相の間には 「化学的なエネルギー差を電気的なエネルギー差がちょうど打ち消す」だけの電位差 $U$ が自然に立つ、 ということです。この $U$ [V] を開回路電位(open-circuit potential, OCP)と呼びます。 $U$ は反応に関わる化学種の化学ポテンシャルだけで決まる熱力学量であり、 とくに格子の埋まり具合 $\theta$(と電解液の Li⁺ 活量)の関数です。
1.2.4 ネルンスト式 — $U$ の濃度依存を陽に書く
式 (1.2) の右辺に活量入りの化学ポテンシャル $\mu_i = \mu_i^\ominus + RT\ln a_i$ を代入します。 固相内のリチウムの活量には、格子サイトが埋まっている割合 $\theta = c_{s,\mathrm{surf}}/c_{s,\max}$ [−] を使った格子気体(lattice gas)モデルの結果 $a_{\mathrm{Li}(s)} = \theta/(1-\theta)$ を使います(導出は下の補足)。
各化学ポテンシャルを展開する($a_e$ は電解液中 Li⁺ の活量。電子の活量は金属中でほぼ一定なので $\mu_{\mathrm{e}^-}$ は定数扱い):
$$ U = \frac{1}{F}\left[ \left(\mu_{\mathrm{Li}^+}^\ominus + RT\ln a_e\right) + \mu_{\mathrm{e}^-} - \left(\mu_{\mathrm{Li}}^\ominus + RT\ln\frac{\theta}{1-\theta}\right) \right] $$定数をまとめて $U^\ominus \equiv \left(\mu_{\mathrm{Li}^+}^\ominus + \mu_{\mathrm{e}^-} - \mu_{\mathrm{Li}}^\ominus\right)/F$ と定義する(標準電位 [V]):
$$ U = U^\ominus + \frac{RT}{F}\ln a_e + \frac{RT}{F}\ln\frac{1-\theta}{\theta} $$最後の項は $-\ln\frac{\theta}{1-\theta} = +\ln\frac{1-\theta}{\theta}$ と符号を反転して移した。
物理的な意味 — なぜ $U$ は $\theta$ とともに下がるのか
$\theta \to 1$(満タン)では $\ln\frac{1-\theta}{\theta} \to -\infty$: もう入る場所がほとんどないので、リチウムを押し込むにはエントロピー的に大きなコストがかかり、 電極はリチウムを受け入れたがらない = 平衡電位が下がります。 逆に $\theta \to 0$(空っぽ)では電位が上がります。 OCP 曲線の右下がりの傾向は、サイトの埋まり具合のエントロピーだけからも説明できるのです。
補足: 格子気体モデルで $a_{\mathrm{Li}(s)} = \theta/(1-\theta)$ になる理由
$N$ 個のサイトに $n = \theta N$ 個の Li を配る配置の数は $\Omega = \binom{N}{n}$。 スターリング近似 $\ln N! \approx N\ln N - N$ を使うと、混合エントロピーは $$ S_{\mathrm{mix}} = k_B \ln\Omega \approx -N k_B\left[\theta\ln\theta + (1-\theta)\ln(1-\theta)\right] $$ 1サイトあたりの自由エネルギー $g(\theta) = \theta\,\epsilon - T s_{\mathrm{mix}}(\theta)$ ($\epsilon$ はサイトに入った Li の結合エネルギー)を $\theta$ で微分すると、Li 1個あたりの化学ポテンシャルは $$ \mu = \frac{\partial g}{\partial \theta} = \epsilon + k_B T\left[\ln\theta + 1 - \ln(1-\theta) - 1\right] = \epsilon + k_B T \ln\frac{\theta}{1-\theta} $$ モルあたりに直せば $\mu = \mu^\ominus + RT\ln\frac{\theta}{1-\theta}$、 つまり活量 $a = \theta/(1-\theta)$ です。 実際の電極材料ではサイト間の相互作用や相転移(黒鉛のステージング)があるため、 この理想形からずれます — それを吸収するのが実測 OCP フィット関数です(下の図1.1で比較できます)。
1.2.5 OCP と OCV、そして実測フィット関数
セル全体の開回路電圧(open-circuit voltage, OCV)は、両電極の OCP の差です:
$V_{\mathrm{OCV}} = U^+(\theta_p) - U^-(\theta_n)$。
実務では式 (1.3) の理想形ではなく、実測データへのフィット関数を使います。
本教材では全章を通して Chen et al. (2020) の黒鉛負極・NMC811 正極のフィット関数
(js/params.js の ocpN, ocpP)を使います。
実測フィットの OCP(実線)と、格子気体ネルンスト式 (1.3) の理想曲線(点線、$U^\ominus$ はスライダーで調整)を比較できます。 黒鉛の「階段」(ステージング相転移)は理想モデルでは出ないことに注目。 $\theta$ スライダーで動作点を動かすと、その点での $U_n$, $U_p$ と $V_{\mathrm{OCV}}$ が更新されます。
1.2 のまとめ
- 荷電粒子の「坂」は電気化学ポテンシャル $\bar\mu_i = \mu_i + z_i F\phi$。
- 電極反応の平衡条件 $\bar\mu$ の釣り合いから、固液間の平衡電位差 $U$(OCP)が導かれる(式 1.2)。
- $U$ の濃度依存を書き下ろしたものがネルンスト式(式 1.3)。実務では実測フィットを使う。
- ここまでは「電流ゼロの平衡」の話。電流を流したときのズレ(過電圧)が次節の主役。
1.3 準備B: 電極反応の速度論 — バトラー・ボルマー式の導出
1.2節は「電流ゼロの平衡」の熱力学でした。しかし電池を使うとは電流を流すことです。 電流が流れているとき、界面の反応はどれだけの速さで進むのか? これに答えるのが電極反応速度論で、その中心的な結果が バトラー・ボルマー式(Butler–Volmer equation)です。 DFN の5本のうちの1本(式5)を、ここで実質的に導出してしまいます。
1.3.1 反応座標と活性化障壁
化学反応は、反応物から生成物へ「峠を越えて」進みます。 横軸に反応の進み具合(反応座標)、縦軸に自由エネルギーを取ると、 反応物と生成物の間には活性化障壁(activation barrier) $\Delta G^\ddagger$ [J/mol] があります。 熱ゆらぎで峠を越えられる分子の割合はボルツマン因子で決まるので、反応速度は アレニウス型になります:
$$ r = k\,c_{\mathrm{reactant}}, \qquad k = A \exp\!\left(-\frac{\Delta G^\ddagger}{RT}\right) $$$c_{\mathrm{reactant}}$:反応物の濃度 [mol/m³]、$k$:速度定数(次元は反応次数による)、 $A$:頻度因子、$\Delta G^\ddagger$:活性化自由エネルギー [J/mol]。
1.3.2 電位差が峠の高さを変える
電極反応が普通の化学反応と違うのは、反応の途中で電荷が界面(固相⇄液相)を横切ることです。 固相と液相の電位差を $\Delta\phi \equiv \phi_s - \phi_e$ [V] とします。 酸化方向(Li が抜けて Li⁺ と e⁻ になる)では、生成物側(Li⁺ が液相、e⁻ が固相)の 静電エネルギーは $\Delta\phi$ を大きくするほど下がります。 つまり $\Delta\phi$ を上げると酸化反応の「谷」が深くなり、峠は相対的に低くなるのです。
ポイントは、生成物の谷が $F\,\Delta\phi$ [J/mol] だけ下がるとき、 途中にある峠(遷移状態)はその一部分だけ下がることです。 遷移状態は反応物と生成物の「中間的な」電荷配置を持つため、 電気的エネルギーの恩恵も部分的にしか受けません。その割合を表す係数が移動係数です。
これを数式にすると、酸化(anodic)と還元(cathodic)の活性化障壁は
$$ \Delta G^\ddagger_a(\Delta\phi) = \Delta G^\ddagger_{a,0} - \alpha_a F\,\Delta\phi, \qquad \Delta G^\ddagger_c(\Delta\phi) = \Delta G^\ddagger_{c,0} + \alpha_c F\,\Delta\phi $$となります($\Delta G^\ddagger_{a,0},\ \Delta G^\ddagger_{c,0}$ は $\Delta\phi=0$ のときの障壁)。 $\Delta\phi$ を上げる(固相の電位を上げる)と、酸化は速く・還元は遅くなる。符号の向きを確認してください。
1.3.3 酸化・還元それぞれの速度式
反応 $\mathrm{Li}_{(s)} \rightleftharpoons \mathrm{Li}^+_{(e)} + \mathrm{e}^-_{(s)} + \square$ について、それぞれの向きの速度を書きます。
酸化(左→右):反応物は「表面のサイトに入っている Li」。その濃度は $c_{s,\mathrm{surf}}$ [mol/m³]。 アレニウス型の速度に、電位による障壁低下 $-\alpha_a F\Delta\phi$ を入れる:
$$ r_a = k_a\, c_{s,\mathrm{surf}}\, \exp\!\left(\frac{\alpha_a F\,\Delta\phi}{RT}\right) $$$k_a$ [m/s] は酸化の速度定数($\Delta G^\ddagger_{a,0}$ を含む)。$\Delta\phi$ が大きいほど指数関数的に速くなる。
還元(右→左):反応物は「界面近くの Li⁺」と「表面の空きサイト」。 Li⁺ の濃度は $c_e$、空きサイトの濃度は $(c_{s,\max} - c_{s,\mathrm{surf}})$。 両方が必要なので積になり、障壁は $+\alpha_c F\Delta\phi$ だけ上がる:
$$ r_c = k_c\, c_e\, (c_{s,\max} - c_{s,\mathrm{surf}})\, \exp\!\left(-\frac{\alpha_c F\,\Delta\phi}{RT}\right) $$$k_c$ [m⁴/(mol·s)] は還元の速度定数(反応物2種の積のため次元が異なる)。 満タン($c_{s,\mathrm{surf}} \to c_{s,\max}$)だと空きサイトがなく、還元は進めない — 物理的に正しい形。
正味の反応電流:酸化は Li⁺ を1個生む(電荷 $+F$ /mol が固相→液相へ運ばれる)ので、 正味のモル速度 $(r_a - r_c)$ [mol/(m²·s)] に $F$ を掛けたものが界面電流密度になる (酸化を正とする符号規約どおり):
$$ j = F\,(r_a - r_c) = F k_a c_{s,\mathrm{surf}} e^{\alpha_a F\Delta\phi/RT} - F k_c c_e (c_{s,\max}-c_{s,\mathrm{surf}}) e^{-\alpha_c F\Delta\phi/RT} \tag{1.4} $$1.3.4 平衡と結びつける — 過電圧 $\eta$ と交換電流密度 $i_0$
式 (1.4) はこのままでも使えますが、$k_a, k_c$ という測りにくい量が2つ入っています。 1.2節の平衡の知識を使って、意味の明快な2つの量 — 過電圧と交換電流密度 — に書き換えます。
まず平衡条件との整合を確認する。$j=0$ となる電位差 $\Delta\phi_{\mathrm{eq}}$ は、式 (1.4) の2項が等しいとき:
$$ F k_a c_{s,\mathrm{surf}}\, e^{\alpha_a F\Delta\phi_{\mathrm{eq}}/RT} = F k_c c_e (c_{s,\max}-c_{s,\mathrm{surf}})\, e^{-\alpha_c F\Delta\phi_{\mathrm{eq}}/RT} $$両辺を $F k_a c_{s,\mathrm{surf}} e^{-\alpha_c F\Delta\phi_{\mathrm{eq}}/RT}$ で割る。 左辺の指数は $\alpha_a + \alpha_c = 1$ を使ってまとまる:
$$ e^{F\Delta\phi_{\mathrm{eq}}/RT} = \frac{k_c\, c_e\, (c_{s,\max}-c_{s,\mathrm{surf}})}{k_a\, c_{s,\mathrm{surf}}} $$両辺の対数を取って $\Delta\phi_{\mathrm{eq}}$ について解く:
$$ \Delta\phi_{\mathrm{eq}} = \frac{RT}{F}\ln\frac{k_c}{k_a} + \frac{RT}{F}\ln\!\left(c_e\,\frac{c_{s,\max}-c_{s,\mathrm{surf}}}{c_{s,\mathrm{surf}}}\right) $$これは 1.2節のネルンスト式 (1.3) と同じ形($\frac{c_{s,\max}-c_{s,\mathrm{surf}}}{c_{s,\mathrm{surf}}} = \frac{1-\theta}{\theta}$)。 速度論は平衡の熱力学を自動的に再現する — 整合性が確認できた。よってこの $\Delta\phi_{\mathrm{eq}}$ は OCP そのもの:$\Delta\phi_{\mathrm{eq}} = U(\theta)$。
過電圧を「平衡からのズレ」として定義する:
$\eta = 0$ なら平衡(電流ゼロ)。$\eta > 0$ なら酸化方向へ、$\eta < 0$ なら還元方向へ正味の反応が進む。
式 (1.4) に $\Delta\phi = U + \eta$ を代入し、指数を分解する:
$$ j = \underbrace{F k_a c_{s,\mathrm{surf}}\, e^{\alpha_a F U/RT}}_{\equiv\, i_{0}}\; e^{\alpha_a F\eta/RT} \;-\; \underbrace{F k_c c_e (c_{s,\max}-c_{s,\mathrm{surf}})\, e^{-\alpha_c F U/RT}}_{=\, i_{0}\ \text{(下で確認)}}\; e^{-\alpha_c F\eta/RT} $$2つの下線部が等しいことは、ステップ(1)の平衡条件(両辺がまさにこの2つの量×$e^{\pm\alpha F\eta/RT}$ の $\eta=0$ の形)そのものである。 この共通の値を交換電流密度 $i_0$ [A/m²] と呼ぶ:
$$ i_0 \equiv F k_a c_{s,\mathrm{surf}}\, e^{\alpha_a F U/RT} = F k_c c_e (c_{s,\max}-c_{s,\mathrm{surf}})\, e^{-\alpha_c F U/RT} $$$i_0$ から測りにくい $U^\ominus$ 依存を消す。$i_0 = i_0^{\alpha_c} \cdot i_0^{\alpha_a}$ ($\alpha_a+\alpha_c=1$ なので恒等式)と書き、1つ目に (6) の左の表式、2つ目に右の表式を代入する:
$$ i_0 = \left(F k_a c_{s,\mathrm{surf}}\right)^{\alpha_c} e^{\alpha_a\alpha_c FU/RT} \cdot \left(F k_c c_e (c_{s,\max}-c_{s,\mathrm{surf}})\right)^{\alpha_a} e^{-\alpha_a\alpha_c FU/RT} $$指数関数がちょうど打ち消し合い、$U$ が消える:
$$ i_0 = F\, k_a^{\alpha_c} k_c^{\alpha_a}\; c_{s,\mathrm{surf}}^{\alpha_c}\, \left[c_e\,(c_{s,\max}-c_{s,\mathrm{surf}})\right]^{\alpha_a} $$$\alpha_a = \alpha_c = 0.5$ とし、$k \equiv \sqrt{k_a k_c}$ [m$^{2.5}$/(mol$^{0.5}$·s)] とまとめると:
$$ i_0 = F k\; c_e^{1/2}\, c_{s,\mathrm{surf}}^{1/2}\, (c_{s,\max}-c_{s,\mathrm{surf}})^{1/2} \tag{1.6} $$これが全章の数値計算で使う $i_0$ の形(params.js の i0_fun)。
表面が空($c_{s,\mathrm{surf}}=0$)でも満タン($=c_{s,\max}$)でも、また電解液が枯渇($c_e=0$)しても
$i_0 \to 0$ となり反応が止まる — 物理的に正しい振る舞いが式に組み込まれている。
まとめると、バトラー・ボルマー式が得られました:
物理的な意味 — 「行き」と「帰り」の綱引き
第1項は酸化方向の電流、第2項は還元方向の電流です。平衡($\eta=0$)では 両者とも大きさ $i_0$ で流れ続けていて、正味だけがゼロ — つまり $i_0$ は「界面の反応がどれだけ活発に行き来しているか」の指標です。 $i_0$ が大きい電極は、わずかな $\eta$ で大電流を流せます(反応がボトルネックにならない)。 逆に $i_0$ が小さいと、同じ電流を流すのに大きな $\eta$ が必要で、それがそのまま電圧損失になります。
1.3.5 2つの極限 — 線形領域とターフェル領域
後の章で近似としてよく使う、2つの極限を確認しておきます。
小さい過電圧($|F\eta/RT| \ll 1$):テイラー展開 $e^x \approx 1+x$ を両項に適用:
$$ j \approx i_0\left[\left(1+\frac{\alpha_a F\eta}{RT}\right) - \left(1-\frac{\alpha_c F\eta}{RT}\right)\right] = i_0\,\frac{(\alpha_a+\alpha_c) F}{RT}\,\eta = \frac{i_0 F}{RT}\,\eta $$電流と過電圧が比例する線形(オーミック)領域。比例係数の逆数 $R_{ct} = RT/(F i_0)$ [Ω·m²] を電荷移動抵抗と呼ぶ。
大きい正の過電圧($F\eta/RT \gg 1$):第2項(還元)が無視でき:
$$ j \approx i_0 \exp\!\left(\frac{\alpha_a F\eta}{RT}\right) \quad\Longleftrightarrow\quad \eta \approx \frac{RT}{\alpha_a F}\ln\frac{j}{i_0} $$$\ln j$ と $\eta$ が直線になるターフェル(Tafel)領域。 片対数プロットの傾きから $\alpha$ を実測できる。
左:線形軸($j$–$\eta$ 曲線と、酸化・還元それぞれの成分)。右:片対数軸($\log_{10}|j|$、ターフェル直線が見える)。 $i_0$ を大きくすると同じ電流に必要な $\eta$ が小さくなること、 $\alpha_a$ を変えると曲線が非対称になること、温度で「切れ味」が変わることを確かめてください。
1.3 のまとめ
- 電極反応の速度は活性化障壁で決まり、障壁の高さは界面の電位差 $\Delta\phi$ で変わる(割合 $\alpha$)。
- 平衡からのズレ $\eta = \phi_s - \phi_e - U$ が反応の駆動力(式 1.5)。
- 正味の電流はバトラー・ボルマー式 (1.7)。振幅 $i_0$ は式 (1.6) の濃度依存を持つ。
- これで「式5」の中身は完成。1.10節で多孔質電極の文脈に置き直して完成形にする。
1.4 柱1: 多孔質電極理論(体積平均)
実際の電極は、直径数µmの活物質粒子が数十µmの厚さに敷き詰められ、 隙間に電解液が染み込んだスポンジ状の構造です。 粒子は1電極あたり何十億個もあり、一つひとつの粒子表面の位置を追いかけて 方程式を解くことは不可能ですし、意味もありません。 そこで「ある程度の体積で平均した場」を変数に選び直します。 これが多孔質電極理論(porous electrode theory)、 数学的には体積平均(volume averaging)の方法です。
1.4.1 代表体積要素(REV)と体積分率
仮定と近似(体積平均が成り立つ条件)
- スケール分離:平均を取る箱(代表体積要素、REV)のサイズ $\ell$ が、 粒子半径よりずっと大きく、電極厚さよりずっと小さい:$R_s \ll \ell \ll L_n$。 LG M50 なら $R_s \approx 5\,\mu\mathrm{m} \ll \ell \ll L \approx 80\,\mu\mathrm{m}$ で、 分離はやや際どいが実用上は成立するとみなす。
- 統計的一様性:REV 内の粒子の詰まり方は場所によらず同じ統計に従う。
- 等方性:平均した輸送係数は方向によらない(スカラーで書ける)。
- 粒子はすべて同じ半径 $R_s$ の球とする(粒径分布は無視)。
位置 $x$ を中心とする REV の中で、各相が占める体積の割合を体積分率と呼びます。
$\varepsilon_s(x)$:活物質が占める体積分率 [−]。
残り $1-\varepsilon_e-\varepsilon_s$ はバインダー・導電助剤など(輸送に直接は関与しないとして扱う)。 セパレータ領域では $\varepsilon_s = 0$(活物質なし)。
平均化した後の変数の「単位あたり」の約束を決めておきます。これを混ぜると単位が合わなくなるので重要です:
- 濃度は「その相の体積あたり」(intrinsic):$c_e$ は電解液 1 m³ あたりのモル数。 実際に測れる濃度と一致させるためこちらを使う。
- 流束・電流密度は「セル全断面あたり」(superficial):$N_e$ や $i_e$ は、 多孔質かどうかによらずセルの断面 1 m² を横切る量。 外部から流す電流密度 $I$ と直接比較できるようにするため。
1.4.2 界面の反応が「体積のソース項」に化ける — 比界面積 $a$
体積平均の最大の御利益はこれです。ミクロに見ると、リチウムは粒子表面という「境界」で 出入りします(境界条件)。しかし平均化した世界では、REV の中に膨大な数の粒子表面が 含まれるため、反応は空間に分布した「湧き出し/吸い込み」= ソース項として現れます。
その換算係数が、単位体積あたりの反応界面積 $a$ [m²/m³] です。値を計算します。
単位体積(1 m³)の電極に入っている粒子の個数 $n_p$ を数える。 活物質の体積は $\varepsilon_s$ [m³] で、粒子1個の体積は $\frac{4}{3}\pi R_s^3$ [m³] だから:
$$ n_p = \frac{\varepsilon_s}{\tfrac{4}{3}\pi R_s^3} \qquad [\text{個}/\mathrm{m^3}] $$粒子1個の表面積は $4\pi R_s^2$ [m²]。単位体積あたりの総表面積は:
$$ a = n_p \cdot 4\pi R_s^2 = \frac{\varepsilon_s}{\tfrac{4}{3}\pi R_s^3}\cdot 4\pi R_s^2 = \frac{3\,\varepsilon_s}{R_s} \tag{1.8} $$LG M50 の負極なら $a = 3\times 0.75 / 5.86\,\mu\mathrm{m} \approx 3.8\times10^{5}\ \mathrm{m^2/m^3}$。 1 cm³ の電極の中に約 0.4 m² の反応界面が畳み込まれている。
界面電流密度 $j$ [A/m²(界面)] を体積あたりに換算する。 単位体積で反応により固相から液相へ移る電荷は毎秒 $a\,j$ [A/m³]。 モル数に直すには、電荷 1 mol の Li⁺ が $F$ [C] を運ぶこと(ファラデーの法則)を使い:
$$ \underbrace{a\, j}_{\mathrm{A/m^3}} \quad\longleftrightarrow\quad \underbrace{\frac{a\, j}{F}}_{\mathrm{mol/(m^3\,s)}} $$単位確認:$[\mathrm{m^{-1}}][\mathrm{A/m^2}]/[\mathrm{C/mol}] = \mathrm{mol/(m^3\,s)}$ ✓。 これが式2(液相物質保存)と式3・4(電荷保存)に現れるソース項の正体である。
1.4.3 曲がりくねった経路 — 有効輸送係数と Bruggeman 補正
体積平均のもう1つの効果は輸送係数の目減りです。電解液中のイオンが $x$ 方向に 1 µm 進むには、 粒子を避けて曲がりくねった経路を通らねばなりません。平均化した世界では、これは 拡散係数・伝導率が見かけ上小さくなることとして現れます。理由は2つ:
- 断面の目減り:セル断面のうちイオンが通れるのは電解液部分 $\varepsilon_e$ だけ。
- 経路の遠回り(屈曲度、tortuosity $\tau$ [−]):実際の道のりは直線距離の $\tau$ 倍。
両方を合わせると、有効拡散係数は $D_e^{\mathrm{eff}} = D_e\,\varepsilon_e/\tau$ の形になります。 $\tau$ は構造の詳細に依存して測りにくいため、実用上は Bruggeman の関係 $\tau = \varepsilon_e^{-1/2}$ (球形粒子のランダム充填に対する有効媒質理論の結果)で近似するのが慣例です。すると:
注意 — Bruggeman は「便利な既定値」であって法則ではない
実測の屈曲度は $b=1.5$ からずれることが多く($b=1.8{-}4$ の報告もある)、 高精度なモデリングでは $b$ 自体をフィッティングパラメータにします。 本教材では全章 $b=1.5$ で統一します。
1.4.4 電流はどう分配されるか — $i_s + i_e = I$
多孔質電極の中では、電流は固相(電子)と液相(イオン)に分かれて流れます。 両者の関係を電荷保存から導きます。
仮定と近似
- 電気二重層の充放電を無視:界面には微小な静電容量があるが、 その充放電の時定数(ms 以下)は放電の時間スケール(分〜時間)よりずっと短いので無視する。 すると電荷はどこにも溜まらない。
- 1次元:集電体に平行な方向の電流は流れない($x$ 方向のみ)。
位置 $x$ と $x+\Delta x$ で挟まれた薄い層を考える。層に流れ込む電流(固相+液相)と 流れ出す電流の差は、電荷が溜まらない以上ゼロでなければならない:
$$ \left[i_s(x) + i_e(x)\right] - \left[i_s(x+\Delta x) + i_e(x+\Delta x)\right] = 0 $$$\Delta x \to 0$ の極限を取ると(差を $\Delta x$ で割って微分の定義を使う):
$$ \frac{\partial}{\partial x}\left(i_s + i_e\right) = 0 \quad\Longrightarrow\quad i_s(x) + i_e(x) = \text{const} $$定数の値は境界条件から決まる。集電体($x=0$)では、電流はすべて金属(固相)経由で 出入りするので $i_s = I$、$i_e = 0$。よって定数は $I$:
次に、固相と液相の間での電荷の受け渡しを見る。 同じ薄層内で、界面反応により固相から液相へ毎秒 $a\,j\,\Delta x$ [A/m²] の電荷が移る (1.4.2 のソース項)。液相だけの電荷収支は:
$$ i_e(x+\Delta x) - i_e(x) = a\, j\, \Delta x \quad\xrightarrow{\ \Delta x \to 0\ }\quad \frac{\partial i_e}{\partial x} = a\, j \tag{1.11} $$式 (1.10) と合わせて $\partial i_s/\partial x = -a\,j$ も従う。
物理的な意味 — 電流の「乗り換え」
放電中の負極を思い浮かべてください($j>0$)。集電体($x=0$)では電流は 100% 電子として 固相を流れています。$x$ が進むにつれ、あちこちの粒子表面で反応が起き、 電流は少しずつイオン電流に「乗り換え」ます。セパレータ($x=L_n$)に着く頃には 100% イオン電流です(セパレータは電子を通さないので、そうならざるを得ない)。 式 (1.11) は、この乗り換えの速さが局所の反応速度 $a j$ そのものだと言っています。 $j(x)$ の分布 — どこで乗り換えが集中的に起きるか — を解くのが DFN の核心で、 その答えはフェーズ5で見ます。
左:空隙率 $\varepsilon_e$ に対する有効係数の目減り $\varepsilon_e^b$($b$ をスライダーで変更。$b=1$ は断面の目減りのみ、$b>1$ が遠回りの効果)。 マーカーは M50 の3領域の実際の空隙率。 右:LiPF₆/炭酸エステル系電解液のイオン伝導率 $\kappa(c_e)$ と拡散係数 $D_e(c_e)$(Nyman 2008 のフィット)。 $\kappa$ は 1 mol/L 付近に山があり、濃すぎても薄すぎても伝導率が落ちる — 電解液枯渇が高レートで致命的になる理由。
1.4 のまとめ
- 粒子1個ずつではなく、REV で平均した場($c_e, \phi_e, \phi_s, \ldots$)を未知数にする。
- 界面の境界条件は、比界面積 $a = 3\varepsilon_s/R_s$ を介して体積ソース項 $a j$(電荷)、$aj/F$(モル)に化ける。
- 輸送係数は Bruggeman 補正 $\varepsilon^{1.5}$ で目減りする。
- 電流は固相と液相に分配され、$i_s + i_e = I$、$\partial i_e/\partial x = aj$。
1.5 柱2: 濃厚溶液理論
電解液の中を Li⁺ がどう動くかを記述する理論を作ります。 電池の電解液は塩濃度が約 1 mol/L と濃いため、 希薄溶液向けの単純な理論では定量的に破綻します。 この節では、ニューマンの濃厚溶液理論(concentrated solution theory)を、 線形非平衡熱力学の考え方から組み立てます。 ここで得られる2つの結果 — 塩の流束の式と電流の式 — が、そのまま式2と式4の材料になります。
1.5.1 まず希薄溶液理論(Nernst–Planck)とその限界
希薄溶液では、イオン $i$ は溶媒とだけ相互作用すると考え、流束を次のように書きます (Nernst–Planck 式):
$$ \boldsymbol{N}_i = \underbrace{-D_i \nabla c_i}_{\text{拡散}} \underbrace{-\,\frac{z_i F}{RT} D_i c_i \nabla\phi}_{\text{泳動(migration)}} $$この式は $\bar\mu_i = \mu_i^\ominus + RT\ln c_i + z_iF\phi$(理想溶液)の勾配を駆動力とし、 摩擦がイオン–溶媒間のみ、と仮定したのと同じです。1 mol/L では次の3点が破れます:
- イオン同士の平均距離は 1 nm 程度しかなく、Li⁺ と PF₆⁻ の間の直接の摩擦(すれ違いにくさ)が無視できない。
- 活量係数 $f_\pm \neq 1$(理想混合エントロピーからのずれ)。
- $D_i$ や輸率が濃度に強く依存する(図1.3右で見たとおり)。
1.5.2 出発点の整理 — 2成分電解質と電気的中性
仮定と近似
- 2成分(binary)・1:1 電解質:溶質は LiPF₆ のみで、完全解離して Li⁺($z_+=+1$)と PF₆⁻($z_-=-1$)になる。溶媒(炭酸エステル混合溶媒)は1成分とみなす。
- 電気的中性(electroneutrality):$c_+ = c_- \equiv c_e$。 正味の電荷密度が緩和する長さ(デバイ長)は 1 nm 以下で、REV よりはるかに小さいため、 平均化スケールでは正負イオンの濃度は常に釣り合う。以後「塩濃度」といえば $c_e$ を指す。
- 対流なし:溶媒は動かない(溶媒の速度を基準系に取る)。
- 等温:温度勾配による輸送(Soret 効果など)は無視。
1.5.3 線形応答と Onsager の相反関係
1.2節で見たとおり、荷電粒子の「本当の坂」は電気化学ポテンシャル $\bar\mu_i$ です。 平衡からのずれが小さいとき(電池の動作条件では十分成立)、 流束は駆動力 $-\nabla\bar\mu_i$ の1次式で書けるはずです。 2種のイオンがあるので、一般形は $2\times2$ の係数行列を使って:
この係数行列について、非平衡熱力学は2つの強い制約を与えます:
- Onsager の相反関係:$L_{+-} = L_{-+}$(ミクロな運動方程式の時間反転対称性の帰結。証明は統計力学の教科書に譲る)。
- 正定値性:エントロピー生成が負にならないためには $L_{++} > 0$、$L_{--} > 0$、$L_{++}L_{--} - L_{+-}^2 > 0$ が必要。
独立な係数は $L_{++}, L_{--}, L_{+-}$ の3つ。 これから、この3つを実測可能な3つの量 — 伝導率 $\kappa$、輸率 $t_+^0$、塩拡散係数 $D_e$ — に翻訳していきます。
1.5.4 実験1: 濃度が一様なとき — 伝導率 $\kappa$ と輸率 $t_+^0$
濃度一様($\nabla c_e = 0$)の電解液に電場をかける状況を考える。 $\bar\mu_\pm = \mu_\pm \pm F\phi$ で、$\mu_\pm$ は濃度のみの関数だから $\nabla\mu_\pm = 0$。よって:
$$ \nabla\bar\mu_+ = +F\nabla\phi, \qquad \nabla\bar\mu_- = -F\nabla\phi $$これを式 (1.12) に代入する:
$$ \boldsymbol{N}_+ = -\left(L_{++} - L_{+-}\right) F\nabla\phi, \qquad \boldsymbol{N}_- = -\left(L_{-+} - L_{--}\right) F\nabla\phi $$電流密度は各イオンの流束が運ぶ電荷の和($z_+ = +1,\ z_- = -1$):
$$ \boldsymbol{i}_e = F\left(\boldsymbol{N}_+ - \boldsymbol{N}_-\right) = -F^2\left(L_{++} - 2L_{+-} + L_{--}\right)\nabla\phi $$これはオームの法則の形。係数をイオン伝導率と定義する:
$$ \kappa \equiv F^2\left(L_{++} - 2L_{+-} + L_{--}\right) \qquad [\mathrm{S/m}] \tag{1.13} $$この電流のうち Li⁺ が運ぶ割合を輸率(transference number)と定義する:
$$ t_+^0 \equiv \frac{F\boldsymbol{N}_+}{\boldsymbol{i}_e}\bigg|_{\nabla c = 0} = \frac{L_{++} - L_{+-}}{L_{++} - 2L_{+-} + L_{--}} \qquad [-] \tag{1.14} $$LiPF₆ 系では $t_+^0 \approx 0.26$:電流の 7 割以上をアニオンが運ぶ。 Li⁺ は溶媒和殻が大きく動きにくいためである。この事実が、後で見る「濃度分極」の根本原因になる。
1.5.5 実験2: 電流と濃度勾配が共存する一般の場合 — 塩の流束と $D_e$
今度は一般の状況($\nabla c_e \neq 0$ かつ $i_e \neq 0$)で $\boldsymbol{N}_+$ を整理します。 目標は「拡散項 + 電流が運ぶ項」の形に分離することです。
個々のイオンの活量係数は測定不可能なので、塩(中性の組)の化学ポテンシャルを導入する:
$$ \mu_e \equiv \mu_+ + \mu_- = \mu_e^\ominus + 2RT \ln\left(f_\pm\, c_e/c^\ominus\right) $$$f_\pm$ [−] は平均活量係数(1.2節)。個別の $\nabla\mu_+$ と $\nabla\mu_-$ は測り分けられないため、 対称に分配する($\nabla\mu_+ = \nabla\mu_- = \tfrac{1}{2}\nabla\mu_e$)。これは $f_+ = f_- = f_\pm$ とすることと同値。
すると駆動力は:
$$ \nabla\bar\mu_\pm = \tfrac{1}{2}\nabla\mu_e \pm F\nabla\phi $$記号を軽くするため $A \equiv L_{++} - 2L_{+-} + L_{--}$($\kappa = F^2 A$)、 $B \equiv L_{++} - L_{+-}$($t_+^0 = B/A$)、$C \equiv L_{++} + L_{+-}$ と置く。
電流 $\boldsymbol{i}_e = F(\boldsymbol{N}_+ - \boldsymbol{N}_-)$ を式 (1.12) から計算する。 Onsager 対称性 $L_{-+}=L_{+-}$ を使うと:
$$ \boldsymbol{i}_e = -F\left[(L_{++}-L_{+-})\nabla\bar\mu_+ + (L_{+-}-L_{--})\nabla\bar\mu_-\right] = -F\left[B\,\nabla\bar\mu_+ - (A-B)\,\nabla\bar\mu_-\right] $$ここで $L_{+-}-L_{--} = -(L_{--}-L_{+-}) = -(A - B)$ を使った ($A - B = L_{--} - L_{+-}$ は定義から確認できる)。
ステップ(2)の駆動力を代入し、$\nabla\mu_e$ の項と $\nabla\phi$ の項に整理する:
$$ \begin{aligned} \boldsymbol{i}_e &= -F\left[B\left(\tfrac{1}{2}\nabla\mu_e + F\nabla\phi\right) - (A-B)\left(\tfrac{1}{2}\nabla\mu_e - F\nabla\phi\right)\right] \\ &= -F\left[\tfrac{1}{2}\left(B - A + B\right)\nabla\mu_e + \left(B + A - B\right)F\nabla\phi\right] \\ &= -\frac{F(2B-A)}{2}\,\nabla\mu_e - F^2 A\,\nabla\phi \end{aligned} $$$\kappa = F^2A$、$t_+^0 = B/A$ を使って書き直すと($\frac{F(2B-A)}{2} = \frac{\kappa(2t_+^0-1)}{2F}$):
$$ \boldsymbol{i}_e = -\kappa\nabla\phi - \frac{\kappa\,(2t_+^0 - 1)}{2F}\,\nabla\mu_e \tag{1.15} $$電流は電場だけでなく塩の化学ポテンシャル勾配でも流れる(拡散電位)。これが「修正」オームの法則の芽。
次に $\boldsymbol{N}_+$ 自身を同様に展開する:
$$ \boldsymbol{N}_+ = -L_{++}\left(\tfrac{1}{2}\nabla\mu_e + F\nabla\phi\right) - L_{+-}\left(\tfrac{1}{2}\nabla\mu_e - F\nabla\phi\right) = -\frac{C}{2}\nabla\mu_e - FB\,\nabla\phi $$測れない $\nabla\phi$ を消去する。式 (1.15) を $\nabla\phi$ について解くと:
$$ \nabla\phi = -\frac{1}{F^2 A}\left[\boldsymbol{i}_e + \frac{F(2B-A)}{2}\nabla\mu_e\right] $$これをステップ(5)に代入する:
$$ \boldsymbol{N}_+ = -\frac{C}{2}\nabla\mu_e + \frac{B}{FA}\left[\boldsymbol{i}_e + \frac{F(2B-A)}{2}\nabla\mu_e\right] = \frac{B}{A}\,\frac{\boldsymbol{i}_e}{F} - \frac{CA - B(2B-A)}{2A}\,\nabla\mu_e $$係数を整理する。$C + B = (L_{++}+L_{+-}) + (L_{++}-L_{+-}) = 2L_{++}$ に注意して:
$$ CA - B(2B - A) = CA + AB - 2B^2 = A(C+B) - 2B^2 = 2\left(L_{++}A - B^2\right) $$さらに $L_{++}A - B^2$ を展開する:
$$ L_{++}\left(L_{++} - 2L_{+-} + L_{--}\right) - \left(L_{++} - L_{+-}\right)^2 = L_{++}L_{--} - L_{+-}^2 $$(1次の項 $-2L_{+-}L_{++}$ が両者で打ち消し合う。展開して確認してほしい。)よって:
$$ \boldsymbol{N}_+ = t_+^0\,\frac{\boldsymbol{i}_e}{F} - \frac{L_{++}L_{--} - L_{+-}^2}{A}\,\nabla\mu_e $$最後に $\nabla\mu_e$ を濃度勾配に翻訳する。連鎖律と $\mu_e = \mu_e^\ominus + 2RT\ln(f_\pm c_e/c^\ominus)$ から:
$$ \nabla\mu_e = \frac{d\mu_e}{dc_e}\nabla c_e = \frac{2RT}{c_e}\left(1 + \frac{d\ln f_\pm}{d\ln c_e}\right)\nabla c_e $$(対数微分:$\frac{d}{dc}\ln(f_\pm c) = \frac{1}{c}\left(1+\frac{d\ln f_\pm}{d\ln c}\right)$。) 括弧の中身を熱力学因子と呼ぶ。そこで塩の拡散係数を
$$ D_e \equiv \frac{L_{++}L_{--} - L_{+-}^2}{A}\cdot\frac{2RT}{c_e}\left(1 + \frac{d\ln f_\pm}{d\ln c_e}\right) \qquad [\mathrm{m^2/s}] $$と定義すると(正定値性より $D_e > 0$ が保証される)、塩の流束の最終形が得られる:
物理的な意味 — 塩の流束の2つの顔
第1項は普通の拡散です。第2項が濃厚溶液理論の要点で、 電流が流れると、その $t_+^0$ 割合分だけ Li⁺ が「ついでに」運ばれることを表します。 $t_+^0 \approx 0.26$ と小さいので、電流の大部分は Li⁺ 以外(アニオンの逆走)で賄われ、 Li⁺ の供給は拡散頼みになります。高レートで電解液の濃度分布が大きく偏る(そして電圧を損する)のは、 まさにこの $t_+^0$ の小ささのせいです。
1.5.6 電位の「測り方」を決める — 修正オームの法則(MacInnes 式)
式 (1.15) には静電ポテンシャル $\phi$ が残っていますが、実は溶液内部の $\phi$ は 実験で測れません(電圧計を溶液に直接つなぐことはできず、 必ず何らかの電極反応を介するため)。そこで DFN では、 「各点に仮想的なリチウム参照電極を差し込んだら読めるはずの電位」を 液相電位 $\phi_e$ と定義します。数学的には、Li⁺ の電気化学ポテンシャルを電位の単位で測ったもの:
$$ \phi_e \equiv \frac{\bar\mu_+}{F} + \text{const} $$$\phi_e$ の勾配を、$\bar\mu_+ = \mu_+ + F\phi$ と $\nabla\mu_+ = \tfrac{1}{2}\nabla\mu_e$ を使って展開する:
$$ \nabla\phi_e = \frac{1}{F}\nabla\bar\mu_+ = \frac{1}{2F}\nabla\mu_e + \nabla\phi \quad\Longleftrightarrow\quad \nabla\phi = \nabla\phi_e - \frac{1}{2F}\nabla\mu_e $$これを式 (1.15) に代入して $\phi$ を消去する:
$$ \boldsymbol{i}_e = -\kappa\nabla\phi_e + \frac{\kappa}{2F}\nabla\mu_e - \frac{\kappa(2t_+^0-1)}{2F}\nabla\mu_e = -\kappa\nabla\phi_e + \frac{\kappa}{2F}\left(1 - 2t_+^0 + 1\right)\nabla\mu_e $$ $$ = -\kappa\nabla\phi_e + \frac{\kappa\left(1 - t_+^0\right)}{F}\nabla\mu_e $$ステップ(8)と同じく $\nabla\mu_e = 2RT\left(1+\frac{d\ln f_\pm}{d\ln c_e}\right)\nabla \ln c_e$ ($\nabla\ln c_e = \nabla c_e / c_e$)を代入すると、修正オームの法則(MacInnes 式)が完成する:
物理的な意味 — 第2項「拡散電位」
濃度勾配があると、電流ゼロでも $\phi_e$ に勾配が立ちます(式 1.17 で $i_e=0$ と置くとわかる)。 濃い側では Li⁺ が「出ていきたがる」ため、それを引き留める電位差が自然に発生するのです。 放電中のセルでは負極側の $c_e$ が高くなるので、この拡散電位は端子電圧を下げる向きに働きます。 その大きさをフェーズ3で定量化します($t_+^0$ が小さいほど、熱力学因子が大きいほど強く効く)。
補足: なぜこの $\phi_e$ の定義だと OCP が $U(\theta)$ だけで書けるのか
1.2〜1.3節では液相の電位を漠然と $\phi_e$ と書き、ネルンスト式に電解液活量 $a_e$ が現れました。 ここで定義し直した $\phi_e = \bar\mu_+/F + \mathrm{const}$ を使うと、 平衡条件 $\bar\mu_+ + \bar\mu_{e^-} = \mu_{\mathrm{Li}(s)}$ は $F\phi_e = \mu_{\mathrm{Li}(s)} - \mu_{e^-} + F\phi_s - F\phi_s + \ldots$ を経て $$ \left(\phi_s - \phi_e\right)_{\mathrm{eq}} = \frac{\mu_{\mathrm{Li}(s)}\text{ 以外の固相の項}}{F} - \frac{RT}{F}\ln\frac{\theta}{1-\theta} + \text{const} $$ となり、電解液の活量 $a_e$ が式から消えます(相殺の計算は下の理解度チェック問5)。 つまりこの定義の下では OCP は $U(\theta)$ と固相の状態だけの関数になり、 「$U(\theta)$ の実測フィット + $i_0 \propto c_e^{1/2}$」という DFN の標準的な書き方と整合します。 教科書によって $\phi_e$ の定義(と第2項の係数)が微妙に違うのはこの選択の違いで、 本教材は Newman/DFN の慣例に従います。
1.5 のまとめ — 測れる3つの物性値への翻訳
3つの Onsager 係数 $(L_{++}, L_{--}, L_{+-})$ は、3つの実測可能量に一対一で翻訳された:
- $\kappa(c_e)$ — イオン伝導率(式 1.13)
- $t_+^0$ — Li⁺ の輸率(式 1.14)
- $D_e(c_e)$ — 塩の拡散係数(1.5.5 ステップ8)
そして2つの構造式が得られた:塩の流束 $\boldsymbol{N}_+ = -D_e\nabla c_e + t_+^0\boldsymbol{i}_e/F$(式 1.16)と、 修正オームの法則(式 1.17)。あとはこれらを多孔質電極の平均化(1.4節)と組み合わせれば、 式2と式4が組み上がる。
1.6 式1: 固相拡散 — 球状粒子内のフィック第二法則
準備が整いました。ここから5本の式を順に導出します。 最初は最もシンプルな式 — 活物質粒子の中をリチウムが拡散する式です。
1.6.1 物理的な設定と仮定
仮定と近似
- 粒子は半径 $R_s$ の球で、内部は均質・等方。実際の粒子は多結晶で形も不揃いだが、その平均的な振る舞いを球1個で代表する。
- 球対称:濃度は半径 $r$ だけの関数 $c_s(r,t)$。 リチウムの出入り(反応)は表面全体で一様に起きるとみなす。
- 輸送はリチウムの拡散のみ:固体格子は動かない(対流なし)。 格子内のリチウムは電気的に中性の「Li 原子+電子」ペアとして動くので、泳動項もない。
- 拡散係数 $D_s$ は濃度によらない定数。 実材料では $D_s(c_s)$ は1〜2桁変わりうるが、本教材では簡単のため定数とする(拡張は容易)。
- 粒子は割れない・膨張しない(力学は無視)。
1.6.2 フィックの第一法則(球座標)
フェーズ0で復習したフィックの第一法則は、球対称の場合、半径方向の流束として書けます:
$$ N_s(r,t) = -D_s \frac{\partial c_s}{\partial r} $$$c_s(r,t)$:粒子内リチウム濃度 [mol/m³]、$D_s$:固相拡散係数 [m²/s]。
1.6.3 質量保存を「殻」で立てる
半径 $r$ と $r+\Delta r$ に挟まれた薄い球殻をコントロールボリュームに取り、 リチウムのモル数の収支を立てます。ここが導出の心臓部です。 平面の場合(フェーズ0)と違うのは、内側の面と外側の面で面積が違うことです。
殻の体積を計算する。$\Delta r$ が小さいとき:
$$ V_{\text{殻}} = \frac{4}{3}\pi (r+\Delta r)^3 - \frac{4}{3}\pi r^3 = 4\pi r^2 \Delta r + \mathcal{O}(\Delta r^2) $$($(r+\Delta r)^3 = r^3 + 3r^2\Delta r + 3r\Delta r^2 + \Delta r^3$ を展開し、最低次だけ残した。) 殻の中のリチウムのモル数は $c_s(r,t)\cdot 4\pi r^2 \Delta r$。
殻への流入と流出を数える。内側の面(半径 $r$、面積 $4\pi r^2$)から入ってくる毎秒のモル数は $N_s(r)\cdot 4\pi r^2$(流束 × 面積)。外側の面(半径 $r+\Delta r$、面積 $4\pi(r+\Delta r)^2$)から 出ていくのは $N_s(r+\Delta r)\cdot 4\pi (r+\Delta r)^2$。殻の中で化学反応は起きない (反応は粒子表面だけ)ので、収支は:
$$ \frac{\partial}{\partial t}\left[c_s \cdot 4\pi r^2 \Delta r\right] = N_s(r)\cdot 4\pi r^2 - N_s(r+\Delta r)\cdot 4\pi (r+\Delta r)^2 $$両辺を $4\pi\Delta r$ で割る:
$$ r^2\frac{\partial c_s}{\partial t} = -\,\frac{\left[r^2 N_s\right]_{r+\Delta r} - \left[r^2 N_s\right]_{r}}{\Delta r} $$右辺は関数 $r^2 N_s$ の差分商。$\Delta r \to 0$ の極限で微分の定義そのものになる:
$$ r^2\frac{\partial c_s}{\partial t} = -\frac{\partial}{\partial r}\left(r^2 N_s\right) $$フィックの第一法則 $N_s = -D_s\,\partial c_s/\partial r$ を代入し、両辺を $r^2$ で割る:
これが球座標のフィック第二法則。$\frac{1}{r^2}\partial_r(r^2\cdot)$ という形は 「面積が $r^2$ に比例して変わる」幾何の帰結であり、覚えるものではなく、いま導いたように出てくるもの。
各項の物理的な意味
- 左辺 $\partial c_s/\partial t$:その場所のリチウム濃度の時間変化(蓄積)。
- 右辺:正味の拡散流入。$r^2$ の重みは、外側ほど同じ流束でも大きな面積を通ることの反映。 中心付近($r\to 0$)では見かけ上特異に見えるが、対称性により流束がゼロになるので実際には有限 (数値解法での扱いはフェーズ4)。
1.6.4 境界条件と初期条件
2階の空間微分を含むので、境界条件が2つ必要です。
中心 $r=0$:対称性。球対称なら中心を横切る正味の流束はあり得ない (どちら向きに流れるか決められない)。よって:
$$ \left.\frac{\partial c_s}{\partial r}\right|_{r=0} = 0 $$これはノイマン条件(流束ゼロ)。
表面 $r=R_s$:反応流束との接続。 粒子表面からは、界面反応(式5)によって毎秒 $j/F$ [mol/(m²·s)] のリチウムが出ていく ($j>0$ = 酸化 = Li が抜ける、という符号規約を思い出す)。 表面のすぐ内側での拡散流束(外向き)がこれに等しくなければ、表面に物質が溜まってしまう。よって:
$$ N_s(R_s) = -D_s\left.\frac{\partial c_s}{\partial r}\right|_{r=R_s} = \frac{j}{F} $$放電中の負極では $j>0$ なので $\partial c_s/\partial r < 0$:表面の濃度が下がり、 中心から表面へ向かう濃度勾配ができる。正極では $j<0$ で逆になる。 この境界条件が、粒子の世界($r$)とセルの世界($x$)をつなぐ唯一の窓口である。
初期条件。放電開始前のセルは長時間休止して平衡にあるとすれば、 濃度勾配は緩和し尽くしているから一様:
$$ c_s(r, 0) = c_{s,0} = \theta_0\, c_{s,\max} $$$\theta_0$ は初期 SOC に対応する化学量論(100% SOC の M50 なら負極 $\theta_{n,0}=0.9014$、正極 $\theta_{p,0}=0.27$)。
式 (E1) を表面流束一定($j = $ 一定、負極の放電に相当)で解いたときの $c_s(r,t)/c_{s,\max}$ の時間発展です。 ▶ 再生で拡散の「追いつき合戦」を観察してください: C レートを上げる・$D_s$ を下げる・$R_s$ を大きくすると、表面濃度(右端)だけが先に下がり、 中心との差が開きます。表面濃度がゼロに触れた瞬間、その粒子はもう電流を維持できません (=電圧の急落。フェーズ2で見ます)。破線は粒子内の平均濃度です。
1.6.5 手を動かす: 球拡散を Python で解く
式 (E1) を有限体積法(詳しい導出はフェーズ4)で離散化し、scipy.integrate.solve_ivp
で解く最小限のコードです。図1.4 と同じ問題設定なので、答え合わせにもなります。
実行すると、質量保存の誤差(有限体積法の売り)も確認できます。
# 球状粒子内の拡散(式E1)を有限体積法 + solve_ivp で解く
# 設定: LG M50 負極粒子、1C 相当の一定流束で放電
import numpy as np
from scipy.integrate import solve_ivp
# --- パラメータ(Chen 2020) ---
F = 96485.33 # ファラデー定数 [C/mol]
R_s = 5.86e-6 # 粒子半径 [m]
D_s = 3.3e-14 # 固相拡散係数 [m^2/s]
cs_max = 33133.0 # 最大濃度 [mol/m^3]
theta0 = 0.9014 # 初期充填率(100% SOC)
# 1C 放電時の負極の界面電流密度 j = I/(a*L) [A/m^2](フェーズ2で導出)
I_1C = 5.0 / 0.1027 # 1C の印加電流密度 [A/m^2]
a_n = 3 * 0.75 / R_s # 比界面積 [1/m]
L_n = 85.2e-6 # 負極厚さ [m]
j = I_1C / (a_n * L_n) # [A/m^2] 界面あたり
# --- 有限体積グリッド(N 個の殻) ---
N = 30
dr = R_s / N
r_face = np.linspace(0, R_s, N + 1) # 殻の境界
r_cent = 0.5 * (r_face[:-1] + r_face[1:]) # 殻の中心
V_i = 4/3 * np.pi * (r_face[1:]**3 - r_face[:-1]**3) # 殻の体積
A_f = 4 * np.pi * r_face**2 # 面の面積
def rhs(t, c):
# 内部の面での拡散流束(外向き正): -D * dc/dr
flux = np.zeros(N + 1)
flux[1:-1] = -D_s * (c[1:] - c[:-1]) / dr
flux[-1] = j / F # 表面: 反応流束(境界条件b)
flux[0] = 0.0 # 中心: 対称性(境界条件a)
# 各殻の収支: (流入 - 流出) / 体積
return (A_f[:-1] * flux[:-1] - A_f[1:] * flux[1:]) / V_i
c0 = np.full(N, theta0 * cs_max)
t_end = 1800.0 # 30 分放電
sol = solve_ivp(rhs, [0, t_end], c0, method="BDF",
t_eval=np.linspace(0, t_end, 7))
# --- 質量保存のチェック ---
n_init = np.sum(c0 * V_i) # 初期モル数
n_out = 4*np.pi*R_s**2 * (j/F) * t_end # 表面から出た量
n_fin = np.sum(sol.y[:, -1] * V_i)
err = (n_fin - (n_init - n_out)) / n_init
print(f"表面流束 j = {j:.3f} A/m^2")
print(f"質量保存誤差: {err:.2e}(有限体積法なら丸め誤差レベル)")
print(f"最終時刻の表面/中心の充填率: "
f"{sol.y[-1,-1]/cs_max:.3f} / {sol.y[0,-1]/cs_max:.3f}")
# --- Plotly 用データ(ブラウザ実行時に自動描画) ---
plot_spec = {
"traces": [
{"x": (r_cent/R_s).tolist(), "y": (sol.y[:, k]/cs_max).tolist(),
"mode": "lines", "name": f"t = {sol.t[k]:.0f} s"}
for k in range(len(sol.t))
],
"layout": {
"xaxis": {"title": {"text": "r / R_s"}},
"yaxis": {"title": {"text": "c_s / c_s,max"}},
"title": {"text": "球状粒子内の濃度分布の時間発展(1C 放電)"}
}
}
# ローカルの Jupyter では以下で描画:
# import matplotlib.pyplot as plt
# for k in range(len(sol.t)):
# plt.plot(r_cent/R_s, sol.y[:, k]/cs_max, label=f"t={sol.t[k]:.0f}s")
# plt.xlabel("r / R_s"); plt.ylabel("c_s / c_s,max"); plt.legend(); plt.show()
式1 のまとめ
$$\frac{\partial c_s}{\partial t} = \frac{1}{r^2}\frac{\partial}{\partial r}\!\left(D_s r^2\frac{\partial c_s}{\partial r}\right), \qquad \left.\frac{\partial c_s}{\partial r}\right|_{0}=0, \qquad -D_s\left.\frac{\partial c_s}{\partial r}\right|_{R_s}=\frac{j}{F}, \qquad c_s(r,0)=\theta_0 c_{s,\max}$$ 質量保存+フィックの法則+球の幾何、それだけ。DFN ではこの式が「$x$ の各点に1つずつ」ぶら下がる。
1.7 式2: 液相の物質保存
柱1(体積平均)と柱2(濃厚溶液理論)を初めて合体させます。 問い:多孔質電極の中で、電解液の塩濃度 $c_e(x,t)$ はどう時間発展するか?
1.7.1 設定と仮定
仮定と近似
- 1.4節の体積平均の仮定(スケール分離、等方性)と、1.5節の濃厚溶液理論の仮定 (2成分 1:1 電解質、電気的中性、対流なし、等温)をすべて引き継ぐ。
- 輸率 $t_+^0$ は濃度によらない定数とする(実測では弱い濃度依存があるが、 これを入れると余分な項が現れる。本教材では定数で通す)。
- 空隙率 $\varepsilon_e$ は時間変化しない(電極の膨張・収縮を無視)。
- $D_e^{\mathrm{eff}}$ は $c_e$ に依存してよい(実装では $D_e(c_e)\varepsilon_e^b$)。
1.7.2 コントロールボリュームでの塩の収支
位置 $x$ と $x+\Delta x$ に挟まれた、断面積 1 m² の薄い層を考えます。 追いかける化学種は Li⁺(カチオン)です。電気的中性により $c_+ = c_- = c_e$ なので、 Li⁺ の保存則が書ければ塩全体の保存則が書けたことになります。
層の中の Li⁺ の量。層の体積は $\Delta x$ [m³] だが、 電解液が占めるのはその $\varepsilon_e$ 倍だけ。濃度 $c_e$ は電解液体積あたり(1.4.1 の約束)なので:
$$ n_{\mathrm{Li^+}} = \varepsilon_e\, c_e\, \Delta x \qquad [\mathrm{mol/m^2}] $$層を出入りする流束。濃厚溶液理論の結果(式 1.16)を多孔質用に読み替える。 流束は「セル全断面あたり」(superficial)の約束だったから、拡散係数は 有効値 $D_e^{\mathrm{eff}} = D_e\varepsilon_e^b$ に置き換わる($i_e$ はもともと superficial):
$$ N_+ = -D_e^{\mathrm{eff}}\frac{\partial c_e}{\partial x} + \frac{t_+^0}{F}\, i_e $$層の中での湧き出し。1.4.2 で導いたとおり、界面反応は体積ソース項 $a j /F$ [mol/(m³·s)] として現れる($j>0$ = 酸化 = Li⁺ が液相に放出される、なので符号は正)。
収支をまとめる(蓄積 = 流入 − 流出 + 生成):
$$ \frac{\partial}{\partial t}\left(\varepsilon_e c_e \Delta x\right) = N_+(x) - N_+(x+\Delta x) + \frac{a j}{F}\Delta x $$両辺を $\Delta x$ で割り、$\Delta x \to 0$:
$$ \varepsilon_e \frac{\partial c_e}{\partial t} = -\frac{\partial N_+}{\partial x} + \frac{a j}{F} $$ステップ(2)の流束を代入する。微分は2つの項に分かれる:
$$ \varepsilon_e \frac{\partial c_e}{\partial t} = \frac{\partial}{\partial x}\!\left(D_e^{\mathrm{eff}}\frac{\partial c_e}{\partial x}\right) - \frac{t_+^0}{F}\frac{\partial i_e}{\partial x} + \frac{a j}{F} $$($t_+^0$ を定数とした仮定をここで使った — 定数でなければ $\partial(t_+^0 i_e)/\partial x$ に余分な項が出る。)
電荷保存の式 (1.11) $\partial i_e/\partial x = a j$ を代入すると、$i_e$ が消えて閉じた式になる:
$$ \varepsilon_e \frac{\partial c_e}{\partial t} = \frac{\partial}{\partial x}\!\left(D_e^{\mathrm{eff}}\frac{\partial c_e}{\partial x}\right) - \frac{t_+^0\, a j}{F} + \frac{a j}{F} $$各項の物理的な意味 — なぜ $(1-t_+^0)$ なのか
- 左辺:電解液中の塩の蓄積($\varepsilon_e$ は「その層のうち電解液は一部だけ」の補正)。
- 右辺第1項:拡散による正味の流入(遠回り補正済み)。
- 右辺第2項:反応による正味の湧き出し。係数 $(1-t_+^0)$ は2つの効果の合算: 反応は Li⁺ を丸ごと1個($aj/F$)液相に放り込むが、 電流が流れること自体が Li⁺ を $t_+^0$ の割合で運び去る(泳動)。 差し引き $(1-t_+^0)\,aj/F$ だけが局所に「残る」。 $t_+^0=1$(Li⁺ が電流を全部運ぶ理想)なら湧き出しは消え、濃度分布は動かない — 濃度分極は $t_+^0 < 1$ の代償である。
- セパレータでは $a = 0$(反応界面がない)なので、純粋な拡散方程式になる。
1.7.3 境界条件・界面条件・初期条件
集電体($x=0$ と $x=L$):集電体は金属の板で、Li⁺ を通さない。 また集電体表面では $i_e = 0$(電流はすべて電子)。よって全流束がゼロ:
$$ N_+ = -D_e^{\mathrm{eff}}\frac{\partial c_e}{\partial x} + \frac{t_+^0}{F}\underbrace{i_e}_{=0} = 0 \quad\Longrightarrow\quad \left.\frac{\partial c_e}{\partial x}\right|_{x=0} = \left.\frac{\partial c_e}{\partial x}\right|_{x=L} = 0 $$領域界面(負極/セパレータ、セパレータ/正極):電解液は連続につながっているので、 濃度と流束が両側で一致する(不一致なら界面に無限の勾配や物質の湧き出しが必要になってしまう):
$$ c_e\big|_{-} = c_e\big|_{+}, \qquad \left(-D_e^{\mathrm{eff}}\frac{\partial c_e}{\partial x}\right)\bigg|_{-} = \left(-D_e^{\mathrm{eff}}\frac{\partial c_e}{\partial x}\right)\bigg|_{+} $$$\varepsilon_e$ が領域ごとに違うため $D_e^{\mathrm{eff}}$ が不連続になり、 濃度勾配は界面で折れ曲がる(値は連続、傾きは不連続)。
初期条件:組み立て直後・休止後のセルでは塩は一様に分布している:
$$ c_e(x, 0) = c_{e,0} \quad (= 1000\ \mathrm{mol/m^3}) $$検算 — 塩の総量は保存されるか
式 (E2) を全域 $[0,L]$ で積分すると、拡散項は境界条件(a)によりゼロ。ソース項は $\frac{1-t_+^0}{F}\int_0^L a j\, dx = \frac{1-t_+^0}{F}\left[i_e(L)-i_e(0)\right] = 0$ (両端で $i_e=0$)。 よって $\frac{d}{dt}\int_0^L \varepsilon_e c_e\, dx = 0$: 負極で湧き出した塩は正極で同じ速さで吸い込まれ、総量は不変。 放電中は「負極側が濃く、正極側が薄く」傾くだけである(フェーズ3の図3.1で確認)。
1.8 式3: 固相の電荷保存
今度は電極の固体骨格(活物質+導電助剤のネットワーク)の中の電子の流れです。 5本の中では最も簡単な式ですが、境界条件に物理が詰まっています。
1.8.1 設定と仮定
仮定と近似
- 固相はオーム性の導体:電子の輸送はオームの法則に従う。 電子の濃度勾配による拡散は金属的導体では無視できる(キャリア密度が桁違いに大きい)。
- 電気二重層なし(1.4.4 と同じ):電荷はどこにも蓄積しない。
- 有効伝導率 $\sigma^{\mathrm{eff}} = \sigma\varepsilon_s^b$ は定数(粒子ネットワークの目減り補正)。
- セパレータには固相の電子経路がない:$\sigma^{\mathrm{eff}}=0$。式3は両電極の中だけで定義される。
1.8.2 導出
オームの法則。固相を流れる(superficial な)電子電流密度は、固相電位の勾配に比例する:
$$ i_s = -\sigma^{\mathrm{eff}}\frac{\partial \phi_s}{\partial x} $$マイナス符号は「電流は電位の高い方から低い方へ流れる」ため。 $\sigma^{\mathrm{eff}}$ [S/m] は多孔質構造で目減りした有効電子伝導率。
電荷保存。1.4.4 の式 $\partial i_s/\partial x = -a j$ を使う (固相の電荷は、反応によって毎秒 $aj$ [A/m³] だけ液相へ「乗り換えて」いく)。
(1)を(2)に代入する:
$$ \frac{\partial}{\partial x}\left(-\sigma^{\mathrm{eff}}\frac{\partial\phi_s}{\partial x}\right) = -a j $$両辺の符号を払うと:
各項の物理的な意味 — なぜ時間微分がないのか
左辺はオーム伝導による電荷の正味の流入、右辺は反応による流出です。 時間微分項がないことに注意してください。二重層を無視した瞬間、電荷はどこにも 溜まれなくなり、この式は「各瞬間に厳密に成り立つべき釣り合い」= 代数的な拘束条件に なります。$c_s$ や $c_e$ のような「状態」ではなく、各瞬間の $j(x)$ に即座に追従する場 — これが DFN を DAE(微分代数方程式)にする張本人です(フェーズ4で正面から扱います)。
1.8.3 境界条件
集電体($x=0$、$x=L$):外部回路の電流はすべてここから固相に入る:
$$ -\sigma^{\mathrm{eff}}\left.\frac{\partial\phi_s}{\partial x}\right|_{x=0} = I, \qquad -\sigma^{\mathrm{eff}}\left.\frac{\partial\phi_s}{\partial x}\right|_{x=L} = I $$(放電 $I>0$ のとき、電流は $x=0$ から入り $x=L$ から出る向きで一貫している。)
セパレータとの境界($x=L_n$、$x=L_n+L_s$):セパレータは電子を通さないので、 そこに流れ込む電子電流はゼロでなければならない:
$$ \left.\frac{\partial\phi_s}{\partial x}\right|_{x=L_n} = 0, \qquad \left.\frac{\partial\phi_s}{\partial x}\right|_{x=L_n+L_s} = 0 $$整合性の検算:式 (E3) を負極 $[0, L_n]$ で積分すると:
$$ \left[\sigma^{\mathrm{eff}}\frac{\partial\phi_s}{\partial x}\right]_0^{L_n} = \int_0^{L_n} a j\, dx \quad\Longrightarrow\quad 0 - (-I) = \int_0^{L_n} a j\, dx $$つまり電極内の反応の総和は、外から流した電流にちょうど等しい: $\int_0^{L_n} a j\, dx = I$。 これは境界条件が式と矛盾しないための必要条件で、数値実装のデバッグにも使える (反応の合計が $I$ からずれたら、どこかにバグがある)。 なお $\phi_s$ は微分でしか現れないので、定数の不定性(ゲージ)が残る — これは端子電圧 $V = \phi_s(L) - \phi_s(0)$ のような差だけが物理的に意味を持つことの現れである。
式3 のまとめ
オームの法則+「溜まらない」電荷保存、それだけ。ただし (i) 時間微分を持たない代数拘束であること、 (ii) 境界条件が「集電体で $I$、セパレータで $0$」という電流の通り道を完全に決めていること、 の2点が後々効いてくる。
1.9 式4: 液相の電荷保存 — 修正オームの法則
1.5.6 で導いた MacInnes 式(式 1.17)を多孔質電極に持ち込み、電荷保存と組み合わせます。 新しい物理はもう出てきません — 部品を正しく組むだけです。
1.9.1 設定と仮定
仮定と近似
- 1.5節の仮定をすべて引き継ぐ(2成分電解質、電気的中性、対流なし、等温)。
- 体積平均により $\kappa \to \kappa^{\mathrm{eff}} = \kappa(c_e)\,\varepsilon_e^b$(遠回り補正)。 $\kappa$ 自体は局所濃度 $c_e(x,t)$ の関数(図1.3右)。
- 熱力学因子は $1 + \frac{\partial \ln f_\pm}{\partial \ln c_e} = 1$ とする (理想溶液近似)。実測では 1.5〜3 程度になり得るが、本教材では簡単のため 1 で通す。 精密なモデルでは実測フィットに置き換えるだけでよい。
1.9.2 導出
MacInnes 式 (1.17) を 1次元・多孔質版(有効係数)にする。熱力学因子は 1 と置く:
$$ i_e = -\kappa^{\mathrm{eff}}\frac{\partial \phi_e}{\partial x} + \frac{2\kappa^{\mathrm{eff}} RT}{F}\left(1 - t_+^0\right)\frac{\partial \ln c_e}{\partial x} \tag{E4a} $$液相の電荷保存(1.4.4 の式 1.11)を重ねる:
$$ \frac{\partial i_e}{\partial x} = a\, j \tag{E4b} $$(1)を(2)に代入する。まず (E4a) をそのまま $x$ で微分すると:
$$ \frac{\partial i_e}{\partial x} = -\frac{\partial}{\partial x}\!\left(\kappa^{\mathrm{eff}}\frac{\partial \phi_e}{\partial x}\right) + \frac{\partial}{\partial x}\!\left(\frac{2\kappa^{\mathrm{eff}} RT}{F}(1-t_+^0)\frac{\partial \ln c_e}{\partial x}\right) $$これが (E4b) より $aj$ に等しい。$\phi_e$ の項を左辺に残す形に並べ替えると:
実装では (E4a)+(E4b) のペアのまま扱う方が見通しがよい(フェーズ5)。
各項の物理的な意味
- $-\kappa^{\mathrm{eff}}\partial\phi_e/\partial x$:普通のイオン伝導(オーム項)。 $\kappa^{\mathrm{eff}}$ は固相の $\sigma^{\mathrm{eff}}$ より2〜3桁小さく、 液相のオーム損は高レートの主要な電圧損失になる。
- $\frac{2\kappa RT}{F}(1-t_+^0)\partial\ln c_e/\partial x$:拡散電位項。 濃度勾配が電流を「押す」効果で、式2が作った濃度分布が電位分布に跳ね返る経路。 式2と式4はこの項と $\kappa(c_e)$ を通じて双方向に結合している。
- $aj$:反応による電荷の流入(固相からの乗り換え)。 セパレータでは $aj=0$ となり、$i_e = I$ 一定で流れる。
- 式3と同じく時間微分がない代数拘束である。
1.9.3 境界条件
集電体($x=0$、$x=L$):集電体は電子しか通さないので、そこでの液相電流はゼロ:
$$ i_e(0) = i_e(L) = 0 $$(E4a) に代入すると、$c_e$ の境界条件 $\partial c_e/\partial x|_{0,L}=0$ と合わせて $\partial\phi_e/\partial x|_{0,L} = 0$ が従う。
領域界面:$\phi_e$ と $i_e$ は連続(不連続なら界面で無限の電場や電荷の湧きが必要)。
ゲージの固定:$\phi_e$ も微分でしか現れないため定数の不定性が残る。 慣例として「負極集電体の固相電位をゼロ」$\phi_s(0)=0$ と置いてすべての電位をそこから測る (選び方は自由で、物理量 — 電圧・過電圧 — は変わらない)。
1.10 式5: 界面反応 — バトラー・ボルマー式の完成形
最後の1本は、1.3節で実質的に導出済みです。ここでは多孔質電極・DFN の文脈に正しく 置き直して完成形にします。
1.10.1 セットアップの再確認
仮定と近似
- 反応は単一段階・1電子移動のインターカレーション反応のみ(副反応なし。SEI 成長などはフェーズ6)。
- 移動係数は $\alpha_a = \alpha_c = 0.5$(対称な障壁)。
- 反応に効く濃度は「その場所の」値:固相側は粒子表面濃度 $c_{s,\mathrm{surf}}(x,t) = c_s(x, R_s, t)$、 液相側は局所塩濃度 $c_e(x,t)$。
- 粒子表面の被膜抵抗(SEI)は無視(入れる場合は $\eta$ から $F R_{\mathrm{film}} j$ を差し引くだけ)。
1.10.2 完成形
1.3節の結果(式 1.5〜1.7)を、位置 $x$ ごとの場の量として書き直します。 $x$ の各点で、その点の $\phi_s(x)$、$\phi_e(x)$、$c_{s,\mathrm{surf}}(x)$、$c_e(x)$ を使って:
式5 は「5本の結び目」
式5には、他の4本の式の未知場が全部入っています: $\phi_s$(式3)、$\phi_e$(式4)、$c_{s,\mathrm{surf}}$(式1)、$c_e$(式2)。 そして式5が返す $j$ は、式1の境界条件、式2のソース項、式3・4のソース項として 全員に配られます。DFN が「5本の連立」になる構造は、式5がハブになっている と言い換えられます。 どこかで反応が進みにくくなる(例:$c_e$ 枯渇で $i_0\to 0$)と、 電荷保存を守るために $j$ の分布全体が組み替わる — この自己調整の様子はフェーズ5で観察します。
1.10.3 手を動かす: 「電流を流すのに必要な過電圧」を計算する
式5を「$j$ が与えられたときに $\eta$ を求める」向きに使ってみます (SPM ではまさにこの向きで使います)。 $\alpha_a=\alpha_c=0.5$ なら解析的に逆算でき($\sinh$ の逆関数、導出はフェーズ2)、 一般の $\alpha$ ではニュートン法が要ります。両方やって突き合わせるコードです。
# Butler-Volmer 式(E5)を「j → η」の向きに解く
# 方法1: α=0.5 の解析逆変換(asinh)/ 方法2: ニュートン法(一般のα用)
import numpy as np
F, R, T = 96485.33, 8.314, 298.15
cs_max = 33133.0 # 負極 [mol/m^3]
ce = 1000.0 # 電解液 [mol/m^3]
k_n = 6.716e-12 # 反応速度定数 [m^2.5 mol^-0.5 s^-1]
theta = 0.5 # 表面充填率(例)
cs = theta * cs_max
# 交換電流密度(式1.6)
i0 = F * k_n * np.sqrt(ce) * np.sqrt(cs) * np.sqrt(cs_max - cs)
print(f"i0 = {i0:.3f} A/m^2")
# 1C〜5C 相当の界面電流密度(フェーズ2で導出する j = I/(a L))
I_1C = 5.0 / 0.1027
a_n, L_n = 3*0.75/5.86e-6, 85.2e-6
js = np.array([0.5, 1, 2, 5]) * I_1C / (a_n * L_n)
# --- 方法1: 解析逆変換 η = (2RT/F) asinh(j / 2i0) ---
eta_asinh = 2*R*T/F * np.arcsinh(js / (2*i0))
# --- 方法2: ニュートン法で g(η) = i0(e^{aFη/RT}-e^{-aFη/RT}) - j = 0 ---
def solve_eta(j_target, alpha=0.5, eta0=0.0, tol=1e-12):
eta = eta0
for it in range(50):
e1 = np.exp( alpha*F*eta/(R*T))
e2 = np.exp(-(1-alpha)*F*eta/(R*T))
g = i0*(e1 - e2) - j_target
dg = i0*F/(R*T)*(alpha*e1 + (1-alpha)*e2) # g'(η)
step = g/dg
eta -= step
if abs(step) < tol:
return eta, it+1
return eta, 50
print(f"{'C-rate':>7} {'j [A/m^2]':>11} {'η(asinh) [mV]':>15} {'η(Newton) [mV]':>16} {'反復':>4}")
for c, j in zip([0.5, 1, 2, 5], js):
eta_n, its = solve_eta(j)
print(f"{c:>6}C {j:>11.3f} {eta_asinh[list(js).index(j)]*1e3:>15.3f} "
f"{eta_n*1e3:>16.3f} {its:>4}")
# η-j 曲線(ブラウザ実行時に自動描画)
eta_grid = np.linspace(-0.15, 0.15, 200)
j_curve = i0*(np.exp(0.5*F*eta_grid/(R*T)) - np.exp(-0.5*F*eta_grid/(R*T)))
plot_spec = {
"traces": [
{"x": eta_grid.tolist(), "y": j_curve.tolist(), "mode": "lines",
"name": "Butler-Volmer"},
{"x": eta_asinh.tolist(), "y": js.tolist(), "mode": "markers",
"name": "0.5/1/2/5C の動作点", "marker": {"size": 9}}
],
"layout": {
"xaxis": {"title": {"text": "過電圧 η [V]"}},
"yaxis": {"title": {"text": "界面電流密度 j [A/m^2]"}},
"title": {"text": "同じ電極でも、要求電流が大きいほど η は非線形に増える"}
}
}
1.11 全体系のまとめ — 方程式と未知数の数え上げ
5本そろいました。1枚の表にまとめます。
| 式 | 方程式 | 定義域 | 境界条件 | 種類 |
|---|---|---|---|---|
| E1 固相拡散 | $\dfrac{\partial c_s}{\partial t} = \dfrac{1}{r^2}\dfrac{\partial}{\partial r}\!\left(D_s r^2 \dfrac{\partial c_s}{\partial r}\right)$ | $0 \le r \le R_s$(電極内の各 $x$) | $\partial_r c_s|_0 = 0$、$-D_s\partial_r c_s|_{R_s} = j/F$ | 時間発展(微分変数) |
| E2 液相物質保存 | $\varepsilon_e\dfrac{\partial c_e}{\partial t} = \dfrac{\partial}{\partial x}\!\left(D_e^{\mathrm{eff}}\dfrac{\partial c_e}{\partial x}\right) + (1-t_+^0)\dfrac{aj}{F}$ | $0 \le x \le L$(セパレータは $aj=0$) | $\partial_x c_e|_{0,L} = 0$、界面で $c_e$・流束連続 | 時間発展(微分変数) |
| E3 固相電荷保存 | $\dfrac{\partial}{\partial x}\!\left(\sigma^{\mathrm{eff}}\dfrac{\partial\phi_s}{\partial x}\right) = aj$ | 電極内のみ | 集電体で $i_s = I$、セパレータ境界で $i_s=0$ | 代数拘束 |
| E4 液相電荷保存 | $i_e = -\kappa^{\mathrm{eff}}\dfrac{\partial\phi_e}{\partial x} + \dfrac{2\kappa^{\mathrm{eff}}RT}{F}(1-t_+^0)\dfrac{\partial \ln c_e}{\partial x}$、$\dfrac{\partial i_e}{\partial x} = aj$ | $0 \le x \le L$ | $i_e(0)=i_e(L)=0$、界面で $\phi_e$・$i_e$ 連続 | 代数拘束 |
| E5 界面反応 | $j = i_0\!\left[e^{\alpha_a F\eta/RT} - e^{-\alpha_c F\eta/RT}\right]$、$\eta = \phi_s-\phi_e-U(\theta)$ | 電極内の各 $x$ | —(局所的な代数関係) | 代数拘束 |
未知数と方程式の勘定(連続体レベル):
- 未知場は5つ:$c_s(x,r,t)$、$c_e(x,t)$、$\phi_s(x,t)$、$\phi_e(x,t)$、$j(x,t)$。
- 方程式も5本:E1〜E5。それぞれの定義域で1本ずつ対応し、境界条件も過不足なし。
- 入力(既知)は印加電流密度 $I(t)$ とパラメータ群。出力は端子電圧 $V(t) = \phi_s(L) - \phi_s(0)$。
時間微分を持つのは E1 と E2 だけ — DFN は「DAE」
E3・E4・E5 には $\partial/\partial t$ がありません。つまり $\phi_s, \phi_e, j$ は 「時間発展する状態」ではなく、各瞬間に $c_s, c_e$ と整合するよう瞬時に決まる従属変数です。 このような系を微分代数方程式(DAE: differential-algebraic equations)と呼び、 普通の ODE ソルバーには食わせられません。解き方はフェーズ4で正面から扱います。
結合の見取り図
E1 →($c_{s,\mathrm{surf}}$)→ E5、E2 →($c_e$)→ E4・E5、 E3 →($\phi_s$)→ E5、E4 →($\phi_e$)→ E5、 そして E5 →($j$)→ E1 の境界条件・E2/E3/E4 のソース項。 すべての矢印が式5を経由して循環していることを確認してください。 この循環こそが、電池の「どこかが苦しくなると全体で負荷を分け合う」振る舞いの数学的な正体です。
1.12 理解度チェック
理解度チェック(紙とペンで)
-
式 (E2) のソース項の係数が $(1-t_+^0)$ になる理由を、
「反応で放出される分」と「電流が運び去る分」の2つの寄与に分けて自分の言葉で説明せよ。
また $t_+^0 = 1$ の(仮想的な)電解液では放電中の濃度分布がどうなるか述べよ。
解答
反応は界面で Li⁺ を丸ごと液相に注入する($+aj/F$)。一方、液相電流 $i_e$ の発散があるところでは、 泳動が Li⁺ を $t_+^0 \partial_x i_e / F = t_+^0 a j/F$ の割合で運び去る。 正味の蓄積は差 $(1-t_+^0)aj/F$。$t_+^0=1$ なら電流が必要な Li⁺ をすべて配達してくれるので ソース項がゼロになり、$c_e$ は初期の一様分布のまま動かない(濃度分極が消える)。 -
式 (E1) の右辺が $\partial^2 c_s/\partial x^2$ 型ではなく
$\frac{1}{r^2}\partial_r(r^2 \partial_r c_s)$ 型になる理由を、
球殻の内外の面積の違いに言及して説明せよ。
解答
球殻のコントロールボリュームでは、流束が通る面積が内側 $4\pi r^2$ と外側 $4\pi(r+\Delta r)^2$ で異なる。 保存則は「流束×面積」の差で書かれるため、微分に $r^2$ の重みが入り込み、 $\partial_t c_s = -\frac{1}{r^2}\partial_r(r^2 N_s)$ となる。平面(面積一定)ならこの重みが消えて $\partial^2/\partial x^2$ 型に退化する。 -
$a j / F$ の単位が mol/(m³·s) になることを、$a$、$j$、$F$ の単位から確認せよ。
さらに $\int_0^{L_n} a j\, dx = I$ の両辺の単位も確認せよ。
解答
$[a][j]/[F] = (\mathrm{m^{-1}})(\mathrm{A\,m^{-2}})/(\mathrm{C\,mol^{-1}}) = \mathrm{(C\,s^{-1}\,m^{-3})(mol\,C^{-1})} = \mathrm{mol\,m^{-3}\,s^{-1}}$ ✓。 積分:$[a j][dx] = (\mathrm{A\,m^{-3}})(\mathrm{m}) = \mathrm{A\,m^{-2}} = [I]$ ✓。 -
交換電流密度 $i_0$(式 1.6)は $\theta = c_{s,\mathrm{surf}}/c_{s,\max}$ の関数として
どこで最大になるか。導関数を計算して求め、その物理的意味を述べよ($c_e$ は固定とする)。
解答
$i_0 \propto \sqrt{\theta(1-\theta)}$。$\frac{d}{d\theta}[\theta(1-\theta)] = 1-2\theta = 0$ より $\theta = 1/2$ で最大。半分埋まった状態が「入るサイトも出る Li も両方潤沢」で反応が最も活発。 $\theta\to0$(出る Li がない)や $\theta\to1$(入る場所がない)では反応能力が消える。 -
(発展)1.5.6 の $\phi_e = \bar\mu_+/F + \mathrm{const}$ という定義を使い、
平衡条件 $\bar\mu_+ + \bar\mu_{e^-} = \mu_{\mathrm{Li}(s)}$ から
$(\phi_s - \phi_e)_{\mathrm{eq}}$ を計算し、電解液の活量が式から消えることを確認せよ。
解答
$F\phi_e = \bar\mu_+$(定数は省略)なので $(\phi_s-\phi_e)_{\mathrm{eq}} = \phi_s - \bar\mu_+/F$。平衡条件より $\bar\mu_+ = \mu_{\mathrm{Li}(s)} - \bar\mu_{e^-} = \mu_{\mathrm{Li}(s)} - \mu_{e^-} + F\phi_s$。 代入すると $(\phi_s-\phi_e)_{\mathrm{eq}} = \phi_s - \left[\mu_{\mathrm{Li}(s)} - \mu_{e^-}\right]/F - \phi_s = \left[\mu_{e^-} - \mu_{\mathrm{Li}(s)}\right]/F$。 残ったのは固相の量($\mu_{e^-}$ は金属の性質、$\mu_{\mathrm{Li}(s)}$ は $\theta$ の関数)だけで、 $c_e$ や $a_e$ は現れない。ゆえに $U$ は $\theta$ のみの関数として扱える。
次章への橋渡し
ここまでで手に入れたもの、次にやること
DFN の5本の式を、保存則と熱力学から自力で組み立てられるようになりました。 しかし5本まとめて解くのは(フェーズ4・5で見るとおり)それなりの仕事です。 そこでフェーズ2では、思い切った近似 — 電解液を「無視」する — によって、5本のうち式1と式5だけで閉じる最小モデル、 単粒子モデル(SPM)を作ります。 「どの式を捨てたのか」「捨てた代償はいつ顕在化するのか」を意識しながら進んでください。 意外なほど多くの現象が、たった2本で説明できることに驚くはずです。