DFN モデル学習ノート リチウムイオン電池の物理モデルを、ゼロから、紙とペンで追える速度で
このサイトは、リチウムイオン電池の標準的な物理モデルである DFN モデル(Doyle–Fuller–Newman モデル、擬似二次元 / P2D モデル)を、 支配方程式の導出から数値実装・検証まで、一切の飛躍なしに積み上げていく教材です。 数式・インタラクティブな図・実行できる Python コードを交互に配置した、 「読む・動かす・書く」を往復する教科書として設計しています。
対象読者と前提知識
- 学部レベルの微分方程式(拡散方程式などの偏微分方程式、ディリクレ/ノイマン境界条件)と線形代数を理解している。
- Python の基礎(numpy / scipy)がある。数値シミュレーションの経験は不要 — 離散化・method of lines・DAE ソルバーはフェーズ4で基礎から説明します。
- 電気化学の知識は不要 — 電極電位、ネルンスト式、バトラー・ボルマー式はフェーズ1でゼロから導出します。
- 拡散方程式に不安がある場合は、フェーズ0の復習節から始めてください。
学習ロードマップ
本教材は「単純なモデルを完全に理解してから、仮定を一つずつ外して精密化する」方針で進みます。 単粒子モデル(SPM)→ 電解液つき単粒子モデル(SPMe)→ 完全 DFN という階層を上がるたびに、 「前のモデルの何をやめて、何を足したのか」を数式の差分として明示します。
このサイトの使い方
- 数式は MathJax で表示されます。導出は1ステップずつ書いてあるので、紙とペンで追いながら読むことを勧めます。
- 🎛 インタラクティブ図はスライダーでパラメータ(拡散係数、C レート、粒子半径など)を動かすと即座に再計算されます。数式を「触って」直感を作ってください。
- ▶ ブラウザで実行ボタンの付いた Python コードは、Pyodide によりブラウザ内でそのまま実行できます(初回はダウンロードのため数十秒かかります)。もちろんコピーして手元の Jupyter で動かしても同じ結果になります。
- 完全 DFN など重い計算はローカル実行前提の完成スニペットとして提示します(numpy / scipy があれば動きます)。
- 各章末の理解度チェックで定着を確認してから次へ進んでください。
数値例について
全章の図とコードは、公開パラメータセットが整備されている
LG M50 21700 円筒セル(黒鉛負極 / NMC811 正極、Chen et al. 2020)
の値で統一しています。公称容量 5 Ah、電極面積 $A_{\mathrm{cell}} = 0.1027\ \mathrm{m^2}$、
したがって 1C に相当する印加電流密度は $I_{1\mathrm{C}} = 5.0/0.1027 \approx 48.7\ \mathrm{A/m^2}$ です。
フェーズ5の答え合わせに使う PyBaMM にも同じパラメータセット(Chen2020)が収録されています。
記号一覧(全章共通)
記号は全章で統一しています。迷ったらこの表に戻ってください。 座標系と符号の約束:セル厚み方向の座標 $x$ は負極集電体を $x=0$、 正極集電体を $x = L = L_n + L_s + L_p$ とします。$r$ は活物質粒子の中心からの半径座標です。 放電電流を正($I > 0$)、酸化方向(粒子から Li が出る向き)の界面電流を正($j > 0$)とします。 放電時は負極で $j > 0$、正極で $j < 0$ になります。
| 記号 | 意味 | 単位 |
|---|---|---|
| $t$ | 時間 | s |
| $x$ | セル厚み方向の座標(負極集電体が $x=0$) | m |
| $r$ | 粒子中心からの半径座標 | m |
| $c_s(x,r,t)$ | 固相(活物質粒子内)のリチウム濃度 | mol/m³ |
| $c_{s,\mathrm{surf}}$ | 粒子表面($r=R_s$)の固相リチウム濃度 | mol/m³ |
| $c_{s,\max}$ | 固相の最大リチウム濃度 | mol/m³ |
| $\theta = c_{s,\mathrm{surf}}/c_{s,\max}$ | 表面化学量論(リチウム充填率) | − |
| $c_e(x,t)$ | 電解液の塩(Li⁺)濃度 | mol/m³ |
| $\phi_s(x,t)$ | 固相電位 | V |
| $\phi_e(x,t)$ | 液相(電解液)電位 | V |
| $U(\theta)$ | 開回路電位(OCP) | V |
| $\eta = \phi_s - \phi_e - U(\theta)$ | (表面)過電圧 | V |
| $j(x,t)$ | 界面電流密度(活物質表面積あたり、酸化を正) | A/m² |
| $j_n = j/F$ | 界面リチウムモル流束 | mol/(m²·s) |
| $i_0$ | 交換電流密度 | A/m² |
| $\alpha_a,\ \alpha_c$ | アノード/カソード移動係数(本教材では 0.5) | − |
| $i_s,\ i_e$ | 固相・液相の(見かけの)電流密度 | A/m² |
| $I$ | 印加電流密度(放電を正) | A/m² |
| $a = 3\varepsilon_s/R_s$ | 比界面積(単位体積あたりの反応界面積) | m²/m³ = 1/m |
| $\varepsilon_e$ | 空隙率(電解液体積分率) | − |
| $\varepsilon_s$ | 活物質体積分率 | − |
| $b$ | Bruggeman 指数(本教材では 1.5) | − |
| $D_s$ | 固相拡散係数 | m²/s |
| $D_e,\ D_e^{\mathrm{eff}} = D_e \varepsilon_e^{b}$ | 電解液拡散係数(裸/実効) | m²/s |
| $\sigma,\ \sigma^{\mathrm{eff}} = \sigma \varepsilon_s^{b}$ | 固相電子伝導率(裸/実効) | S/m |
| $\kappa,\ \kappa^{\mathrm{eff}} = \kappa \varepsilon_e^{b}$ | 液相イオン伝導率(裸/実効) | S/m |
| $t_+^0$ | Li⁺ の輸率(transference number) | − |
| $f_\pm$ | 電解質の平均モル活量係数 | − |
| $R_s$(値は $R_n,\ R_p$) | 活物質粒子の半径 | m |
| $L_n,\ L_s,\ L_p$ | 負極・セパレータ・正極の厚さ | m |
| $F$ | ファラデー定数($96485$) | C/mol |
| $R$ | 気体定数($8.314$) | J/(mol·K) |
| $T$ | 絶対温度 | K |
| $V$ | 端子電圧 $V = \phi_s(L) - \phi_s(0)$ | V |
電極の区別が必要なときは上付きの $\pm$ または下付きの $n, p$ を付けます (例:負極の固相拡散係数 $D_s^-$ あるいは $D_{s,n}$)。
3つのモデルの関係(先取りの見取り図)
| モデル | 解く方程式 | 解けること | 解けないこと |
|---|---|---|---|
| SPM (フェーズ2) |
球拡散 ×2、バトラー・ボルマー ×2 | 低〜中レートの放電曲線、粒子内拡散律速 | 電解液の分極、高レートの電圧降下 |
| SPMe (フェーズ3) |
SPM + 電解液の物質保存 PDE + 電圧補正項 | 中〜高レートの電圧、電解液濃度分布 | 反応分布の不均一(電極内の場所による差) |
| DFN (フェーズ5) |
5本の連立 PDE / DAE(フェーズ1で導出) | 反応の局在化、電解液枯渇、内部状態の空間分布 | 粒子割れ・SEI などの劣化(→フェーズ6で拡張) |
参考文献
- J. Newman and K. E. Thomas-Alyea, Electrochemical Systems, 3rd ed., Wiley, 2004. — 多孔質電極理論・濃厚溶液理論の原典的教科書。フェーズ1の二本柱はこの本の体系に沿っています。
- M. Doyle, T. F. Fuller, and J. Newman, “Modeling of Galvanostatic Charge and Discharge of the Lithium/Polymer/Insertion Cell,” J. Electrochem. Soc. 140 (1993) 1526–1533. — DFN モデルの原論文。
- G. L. Plett, Battery Management Systems, Volume I: Battery Modeling, Artech House, 2015. — 実装寄りの丁寧な導出で、本教材の記号運用の参考にしています。
- V. Sulzer, S. G. Marquis, R. Timms, M. Robinson, and S. J. Chapman, “Python Battery Mathematical Modelling (PyBaMM),” J. Open Res. Softw. 9 (2021). — フェーズ5の答え合わせに使うオープンソースソフトウェア。 pybamm.org
- C.-H. Chen, F. Brosa Planella, K. O’Regan, D. Gastol, W. D. Widanage, and E. Kendrick, “Development of Experimental Techniques for Parameterization of Multi-scale Lithium-ion Battery Models,” J. Electrochem. Soc. 167 (2020) 080534. — 本教材の数値例(LG M50)のパラメータ出典。
- S. G. Marquis, V. Sulzer, R. Timms, C. P. Please, and S. J. Chapman, “An Asymptotic Derivation of a Single Particle Model with Electrolyte,” J. Electrochem. Soc. 166 (2019) A3693. — SPMe の系統的導出(フェーズ3の背景)。